どすこいって?

「どすこい」の思い
– 森に、コロナの時代でも存続する価値のあるコミュニティを –

2020年12月吉日

鈴木ゴリ宣仁
代表理事 鈴木ゴリ宣仁

1.なぜ「どすこい」と名付けたか

初めてお目にかかる方や、名刺をご覧になった方からよく法人名の由来を訊ねられます。
「ユニークな社名ですねー!」
「ゴリさんが相撲部出身なんですか?」
「放課後等デイサービスに土俵があるんですか?」
といった感じです。

なぜ「どすこい」なのか?
それは、私たちがどすこいを始める準備をしていた2014年の夏、「支援する側と支援される側が、立場を越えて、裸になって、一つの土俵の上で取っ組み合う」そんな現場を生み出したいと強く願ったからでした。
ではなぜ、そんな思いになったのか、少し長くなりますが以下に書かせていただきます。


大塔ライフハウス・熊野川カヌー体験
(2019年5月)

大宇陀森下さんの棚田(2019年10月)

2.障害と健常は地続き temporary abled bodyという考え方

私たち人間は生まれたとき誰でも「手のかかる新生児」であり「寝たきりの要介護者」です。
多くの赤ん坊は生まれてから数年間は親や保護者により圧倒的な「保護」「介護」がなければ、一人では生き延びることができません。
そして運よくその後、いわゆる「健常」な状態で成長出来たとしても、事故や病気で突然さまざまな「困りごと」を背負うことがあります。
そして誰でも避けることができないのが、中高年になれば加齢によって身体的にも知的にもコミュニケーションの分野でも困りごとを抱えていくということです。どんなにアンチエイジングに尽力しても、私たちは老化し、介護を要する者となっていきます。

カナダではすでに1980年代には「障害者=unabled」に対して「健常者」のことを“temporary abled body”と表現していたようです。
健常とは「一時的に何でも自分で出来る身体」を持っている状態だ、ということです。
言い換えると私たち人間は、いつか必ず「誰かの助けを借りないと生きていけない状態になる」ということであり、一人の人の中で、健常と障害は地続きだ、という意味です。

このことは福祉や介護、医療や看護のサービスを提供する側が、常に利用する側より優位に立っている訳ではない、ということを示しています。
さらにいうと、目の前の要支援、要介助、要介護の方々は、実は支援する側の「先達」であり「先生」なのです。
だからこそ、サービス提供する私たちはいつも、支援される側になったときの自分を想像しながら、「先達」「先生」である方々のさまざまな「声」に耳を傾け、つながり続け、一緒に歩き続けていきたいと思うのです。


大塔ライフハウス・歌と笑いのほっこりタイム
(2020年1月)

五條市宇野峠の里山(2020年10月)

3.社会の役に立たなければ生きている意味がないのか?

2016年7月26日神奈川県立知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で19人の入居者が刺殺され、入居者・職員26人が重軽傷を負うという痛ましい事件が起きました。
犯人の植松死刑囚は、「重度の障害者たちを生かすために莫大な費用がかかっている」「重度の障害者は安楽死させるべきだ」という考えに基づいて犯行に及びました。
また、植松死刑囚自身が発達障害・精神障害の当事者として、自分は社会の役に立たない生きる価値がない者であるという思いを持っており、犯行によって「社会の役に立たない人を抹殺することで、これで初めて社会の役に立てた」という達成感を得たといわれています。

このようなナチスドイツによる障害者抹殺作戦「T-4」や強制収容所におけるユダヤ人の大量虐殺に通じる植松死刑囚の考え方、すなわち「社会の役に立たなければ生きている価値がない」という考え方に対して、わたしたちはそれは違う!と答えます。

そう答える理由の第一は、人は誰であれ、生まれて生きてそこに在る、ただそれだけで尊いからです。
何かの役に立つとか、誰かの役に立つとか、そんなことは一人の人の存在理由にはなりません。大自然の摂理のなかでこの世に生を受けた私たちが、互いに互いの命の価値の重さを測ることはとんでもない傲慢だと思うのです。

理由の第二は2.で述べた、障害は健常者にとって他人事ではなく自分自身に必ず起こることだ、ということです。
もしナチス・ドイツや植松死刑囚のような考え方がまかり通れば、障害者と同様、要介護の高齢者や、回復の見込みがない病人もまた「抹殺」の対象になっていきます。
しかし、要介護で、生まれた時から寝たきりの状態で、数字に換算できる生産性はなくても、数値化できる基準では社会の役に立っていないように見えても、その人は今そこで生きてくれてるだけで、私たちにさまざまな「幸福感」を与えてくれるのです。

この「幸福感」の例として、私事で恐縮ですが、私が父を見送ったときのことを書きます。
私は今年2020年2月に96歳の父を見送りました。死因は老衰でした。亡くなる9日前から何も飲食しなくなり、5日前に施設から自宅に帰し、家族や近隣のみなさん、ターミナルケアスタッフのみなさんと共に、看取ることが出来ました。
87歳でアルツハイマー型認知症を発症していた父の脳は、発症前の半分くらいに委縮していましたが、自分の意志で「帰りたい」といい、病弱な母も「あと数日なら私も頑張れる」といってくれたおかげで、80歳まで獣医として働いた自分の仕事場で最後の日々を過ごすことが出来たのでした。

一切の飲食を絶ち、排泄は繰り返しながら、枯れに枯れていく父は、とても快適で幸福そうでした。亡くなる直前の10時間くらいは、ずっと誰かを追いかけるような仕草と、捕まえられなくて残念そうな表情をくり返していました。きっと、先に逝った懐かしい人たちと再会して天国の入口で鬼ごっこでもしていたのだと思います。
人は土から創られて土に還るという考え方がありますが、父の死に様は「人はどこから来てどこに帰るのか」を教えてくれました。また、「ただ生きて在ることだけで、命は尊い」と教えてくれました。そのお陰で私は死ぬことへの恐怖がずいぶん和らぎ、それ以上に自分が老いて、自分に出来ることが一つ一つ無くなっていくときに「社会の役に立たなくなったのに生きていて申し訳ない」という後ろめたさを抱えずに済むと思えたのでした。


父の食事介助(2019年11月20日)

FM五條

(バザールカフェのみなさんと 2019年3月)

4.森は生きる力を与えてくれた

話は遡り、1992年の2月、私はオーバーワークが原因で鬱になり、自らの命を絶つことを目的に森に入りました。
麓の道に車を停め、林道を何時間も歩き尾根に出ました。ちょうどそこに自分の最後にふさわしいと思える大きな木を見つけました。
私はその木の根元に座りました。太い幹にもたれ、目の前に広がる景色を眺めていると、ふと、森のなかから「オマエハ ソノママデイイ」「モウイチド イキロ」という言葉が聞こえたのでした。

その言葉に生かされた私は下山し、生きづらさを抱えている子どもや大人の居場所に出来るような場所を探し始めました。
そして1992年11月、柏原市の森で、私の師匠となる人に出会い、その人の山をお借りして1993年4月から「森のフリースクール・どんぐりの家」を始め、その後、同じ信貴山周辺の森や畑で、1999年に森林ボランティア団体・SaveForestClub(現在のSaveForestX)を立ち上げ、2015年3月から2020年8月まで、この場所でどすこいは活動を行うことが出来たのでした。


五條市宇野峠の里山(2020年2月22日)

吉野川でのカヌー研修(2015年6月)

5.森に受け容れてもらい、森に癒され、森に生きる

日本の国土の70%近くが森林です。
でもそのほとんどが1950年代以降、「利用する価値がない」「資産価値がない」「あっても意味がない」として放棄され放置され、荒れ果ててしまいました。

しかし、森には経済的な存在価値がないように見えますが、実は凄い力があります。

その一つは、「森は、誰で受け容れくれる、誰も排除しない」ということ。
二つ目は、「森は、そこに居る命に、生きる力を注いでくれる」ということ。
三つめは、「森は、持続可能なコミュニティを与えてくれる」ということです。

これら森が持つ三つの力について、「森のフリースクール・どんぐりの家」の時期に起きたことを例に挙げます。
1993年の冬から、私は自分で伐り出した桧の間伐材をチェンソーと鑿(ノミ)で刻み、8年かけてほとんど一人で小さな山小屋を建てました。その作業のため私が森にいる間、色んな子どもたちが現場にやってきました。
学校に行かなくなった子。
バイクを盗んで暴走をくり返す子。
親を殴り、家を壊していた子。
薬物依存で、何度も自殺を企図する子。
家でも学校でも、警察でさえも手を焼き、自分でも自分を罰し、自分を否定し社会を否定しているような子たちでした。

でも不思議なことに、そのような荒れに荒れている子どもたちが、森のなかの、桧の香りが充満する現場に来ると、穏やかになり、優しくなるのです。
黙って作業を手伝ってくれる子、普段はしかめ面しかしてないのにずっと笑顔でいる子、親にも先生にも言えない自分の苦しみと夢を語る子、ずっと本を読んでる子…。
そして全員に共通していたのは、皆、焚き火の傍に置いた簡易ベッドの上で、ぐうぐうとよく眠っていたこと。
昼夜逆転してるから昼間眠たいのは当然だったのかも知れませんが、皆ほんとによく寝て、目覚めるとすっきりした顔で帰っていきました。

子どもたちはただやってきて、森の中で、焚き火の傍で、何をするでもなく過ごす。私はそれを気にかけながら作業をしてるだけ。時々他愛もない話をし、焚き火で焼いたサツマイモを食べ、親や先生や警察の悪口をいっては一緒に怒ったり笑ったりしていただけでした。
にもかかわらず、ある子はある日突然こんなことを言って、それきり森に来なくなりました。
「ゴリさん、今までありがと。俺、もうここには来ないわ。ここに通ってる間に、なんか知らんけど、親とか学校とか社会とかに怒って反抗してても意味ないやん!て思えてきてん。要は、周りの環境がどうであれ、俺が自分としてどう生きるかてことが大事なんやて分かってん。また、迷うことがあったらふらっと来るかもしれんけど、たぶんもう大丈夫やわ。俺、頑張るわ。ゴリさんも頑張って。」

障害があってもなくても、何歳でも、どこで生まれてどんな人生を送ってきたのかも関係ない、生きづらくなったら、生きる力が枯れてしまいそうになったら、いつでもやってきて納得するまで居てていい場所。
そんな場所を創りたいと願い続けて私は今日も森にいます。


五條市宇野峠の里山(2020年8月)

YMCA学院高校での授業(2020年12月)

6.谷さんとの出会い 「陽楽の森」に移転した経緯

2020年8月、私たちはお世話になった信貴山周辺のフィールドから、王寺町畠田の「陽楽の森」へと拠点を移しました。

これは2019年11月、私がパーソナリティを務める番組、FM五條『タテヨコラジオ』に「陽楽の森」のオーナーである谷林業株式会社代表取締役社長・谷茂則さんがゲスト出演してくださったことがきっかけでした。

FM五條『タテヨコラジオ』は、紀伊半島大水害で大きな打撃をうけ、過疎と少子高齢化が極端に進む五條市大塔町で福祉と介護で雇用を生み、移住者を増やすという「大塔ライフハウス」の取組みを発信する番組です。


大塔ライフハウス
(県民だより奈良の表紙 2019年1月)

この半世紀の間に全国の山林所有者(山主さん)たちは投資の価値がない山林に関心を失い、「山行きさん」「山守りさん」と呼ばれるフォレストワーカーを手放し、所有する山林を荒れ放題にしてきました。吉野杉で有名な奈良県でも事情は同じで、植栽後20年目以降適切な時期に間伐や枝打ちをしてもらっていない50年~70年生の杉桧林は密生し土砂災害の原因となり、瀕死の杉桧が子孫を残すために付けた大量の花粉がアレルゲンとなって深刻な社会問題を生んでいます。
そのような状況のなか、谷さんは南北朝時代に形成された「吉野林業」という経済の仕組みに着目し、これを蘇らせ、森と街を結ぶことで経済活動を興し、森を守る後継者を育てることに取り組んでこられました。

丁度その頃、私は五條市大塔町で
自然のなかで
四世代が交流する
生まれる前から死んだ後までつながり続ける
自給可能なコミュニティを創る
ということを具体化するための仕組みとして大塔ライフハウスの社会福祉法人化に注力しており、谷さんと意気投合し近い将来行動を共にしようということになったのでした。

こうしてその半年後、大塔ライフハウスのモットーである「閉じない・孤立しない・つながり続ける」をどすこいとしても具体化する時期が来たと考え、「陽楽の森」というオープンな環境に拠点を移す決断をしたのでした。


FM五條での収録風景
(コロナ対策で2つのスタジオに分かれて
2020年6月25日)

大塔ライフハウスのクリスマス

(2019年12月14日)

7.社会に開かれたフィールドで起きる大きな変化

2020年9月から「どすこい信貴山部屋」は「どすこい王寺町部屋」としてリニュアルし、どすこいの拠点となるフィールドも「陽楽の森」に移りました。
私たちはこの移転を「創造的・発展的移転」と位置付けています。

「陽楽の森」には既に、就労支援事業をされているNPO法人「なないろサーカス団」さんや森林ボランティアの団体「ラックス・フォレスト」さんが活動しておられました。
また昆虫写真家・伊藤ふくおさんの昆虫観察会「ふくおと歩こう」が毎月開催されていました。
私たちはこれまでの「閉じた環境」から「開かれた環境」に移り、「陽楽の森」での先輩のみなさんとコミュニケーションを密にしながら子どもたちへのサービス提供を始めました。

例えば、これまでフィールドといえば、どすこいの子どもたちとスタッフだけだった訳ですが、「陽楽の森」では「なないろサーカス団」のみなさんが畑仕事や薪割りに来られます。またヤギのキナコさんのお世話はどすこいだけでは十分にできないため、小屋の掃除や餌の確保や散歩まで、「なないろサーカス団」のみなさんが多くの部分を担ってくださっています。
例えば、森の整備に毎日のように通ってこられる「ラックス・フォレスト」の大内さんは80歳の大工さんですが、どすこいスタッフの拙い草刈り作業跡を丁寧に仕上げをしてくださいます。12月3日(木)に行われたどすこいスタッフによる月例フィールド整備では、一緒に竹を伐り出し集会場所に屋根を付けてくださいました。翌日からこの屋根の下は早速子どもたちの「おでん屋さんごっこ」の拠点となっています。
例えば、昆虫観察会「ふくおと歩こう」の日や、ラックス・フォレストさん主催のマルシェの日には、これらの参加者やお客さんが数十人来られる中で、昭和町部屋・西田辺部屋・王寺町部屋の子どもたちとスタッフが「普段の支援」を実施しています。

当初は安全管理での不安があり、また急な環境変化による子どもたちへの影響を心配したのですが、このような出会いから様々な交流が生まれています。特に私たちがどすこい発足に際してずっと望んでいた「障害の有無や程度に関係なくみんなが対等に同じ立場で一緒にやっていける環境」が、「陽楽の森」に移転したことにより凄い速さで具体化し可視化されたことに驚きつつ、感謝しまくっています。
私の個人的な思いをいえば28年間お世話になり、人生の半分以上を過ごした場所から移ることはとても寂しく辛いものがありましたが、わずか数ヶ月で起きた大きな大きな変化を目の当たりにして「発展的・創造的な移転」が出来たのだと思えるのです。

これからどすこいは「陽楽の森」で、どすこい単体としてではなく、さまざまな団体や個人のみなさんとつながり続け、大塔ライフハウスと同様の
自然のなかで
四世代が交流する
生まれる前から死んだ後までつながり続ける
自給可能なコミュニティを創る
という仕組みを、都市近郊の里山で具体化していきたいと願っています。

2021年度には、「薪林業」を合言葉に、薪ストーブの普及(「KUBERU」事業)と連動した山行きさんの育成・薪の製造販売・薪体験スペースの建築と運営(「焚き火BAR」事業)といったことが「陽楽の森」でスタートします。
この中にはどすこいだけでは為しえなかった「どすこいの卒業生の進路(就労先・居場所)を作る」ということも含まれています。
ヤギさんだけでなくお馬さんにも来てもらってアニマルセラピーも始める予定です。
また、どすこいのサービス提供とは別に、休日に家族で過ごしてもらえるような仕組みや森林ボランティアの受け皿も整えていきます

台湾のIT大臣オードリー・タン(唐鳳)さんは「コロナ渦にあってマイノリティに対してどれだけ配慮が出来たかが、その国がコロナ後にも存続する価値があるかどうかを決定する」という趣旨の発言をしています。
森は誰も排除しない。ということからすれば、コロナの時代に存続する価値のある社会的な仕組みとは、森に受け容れてもらい、森に根差し、森に生かされているコミュニティを指すのではないでしょうか。

森からの恵みをいただきながら
森のなかで
コロナの時代にも耐えられるような
新たなコミュニティを一緒に創って参りましょう。


YMCA学院高校(2020年12月)

生駒市高山町の竹林(2020年11月)

まずはお気軽にご相談ください

どすこい昭和町部屋

TEL/FAX:06-6629-0882

木曜・祝日を除く平日:12時〜18時
定休日:毎週木曜、8月13日〜15日、12月30日〜1月3日

どすこい王寺町部屋

TEL:0745-34-2277

FAX:0745-34-2278

木曜を除く毎日:12時〜18時
定休日:毎週木曜、8月13日〜15日、12月30日〜1月3日

どすこい西田辺部屋

TEL:06-6657-5822

FAX:06-6657-5823

木曜を除く毎日:12時〜18時
定休日:毎週木曜、8月13日〜15日、12月30日〜1月3日

ページの先頭へ